記憶に新しい台風19号など、ここ数年、災害の規模が過去とは比較にならなくなってます。
専門家の意見をニュースなどでみてまして、これは序の口、今後もっと大きな台風がくる可能性のほうが高いと。
まぁ、当然といえばそうですね、こんなに温暖化して気象条件が変化してきておりますので。
今回被害を受けた方々には心からお見舞いを申し上げつつ、やはり、これは個々人の事前対策や準備が必要だなと痛感しました。
“Reality bites”、現実は厳しい。誰もなんとかしてくれません。
以前、 我が家の「サラ・コナーズバッグ」(The Big Bang Theoryのシェルドン命名の災害準備袋。)としてのモノの準備にフォーカスを当てました。
そろそろこちらも公開ですね、アイキャッチ画像は公式サイトから参照です。




今回は改めて1)仮に災害にあってしまったらと、2)モノ以外の災害対策いう点について、ミニマリストというか合理的な視点から考えて綴ってみたいと思います。
あくまで個人の考えなので、不快に思われたらごめんなさい。でもいろんな意見の一つとして参考になれば。
仮に災害にあってしまったらどうするか。
ワタクシ達は平素よりあまり災害を受けるようなエリアには居住しておりませんので、まったく被害はなかったんですが、色々な報道をみて思うことが多々ありました。
仮に、自分たちが被害にあったらどうだろうと。
被災された方には心からお見舞い申し上げると同時に、不思議な感想もあります。
例えば、停電。
もう1週間以上も復旧めどが立たないとわかってる、あなたならどうしますか?
移動手段があるという前提ですが、普通にまともなエリアに逃げます。
2週間ぐらいバケーションで旅行に行くつもりぐらいで前向きに待つ方が精神的にヘルシーですよね。なぜ、不便な中、じーっとしないといけないんだろうと。
お金ってこういう時に使うためにあると思っています。
東日本大震災の時も、放射能被害から逃れるために、西日本地域に移動した方多かったですよね。某社外人社長はハワイの別荘に逃げてましたし。。。ある意味正しいと思います。
浸水被害や水浸しでどうにも動けない場合は難しいと思いますが、救助されるなりその後はやりようが色々あると思うんですよね。ある程度収まって、状況回復してからでもいいのになぁと。
災害に限らず、「場所」に固執している人がとても多いんだなと感じました。
ミニマリストはフットワークが軽いです。
持ち物が少ないし固定資産も持ってないからってのもあります。
それ以上に思考マインドとして、合理的なんだと思うんですよね。あとは切り替え。
他所でやればいいやん。
行ったことない所でやってみたいとか、人との別の出会いもあるしなど。
ワタクシ、割と場所を転々と移動してきたので、ほんとその辺こだわりがありません。
新しい体験できるほうが嬉しい。
昔の人も言っています「孟母三遷の教え」というのがありますが、特に若い頃にいろいろ体験しているとこの辺りこだわりがなくなるように思います。
再考:災害対策
じゃ、災害にあうまえにどう備えるか。前回はモノ中心に記事を書きましたが、それ以前の準備について今回は書きたいと思います。
- 住む場所
- いつでも動ける準備
- 日々の健康
突き詰めるとこの3つでしょうか。
住む場所
何よりも、住む場所ですね。なんでこんな崖の下、川の横にすんでるんだろうとか、近代以前は人がすんでなかったエリアにはそれなに住んでなかった意味があります。
住む場所は選ばないといけませんね、最優先事項と思います。
風水を馬鹿にされる方いらっしゃいますが、昔の人は経験値に基づいて知恵を蓄えてきてます。あれ完全に環境学、統計学ですからね。昔の人が言うことはちゃんと参考にした方が良いというのがワタクシのポリシーです。
先祖代々の土地とかしがらみとか言いますが、ワタクシ、親から一つも財産もらってませんので、全部自分の力でやってます。親は親、自分は自分。(もちろん、広い意味ではいろんな方に支えられながらですが)
住む所、普通に働いてたら家賃だせるでしょう。現在日本の最低賃金900円程( 全国加重平均額 )ありますし、選ばなければ家賃2万円ぐらいのアパートからシェアハウスもあるし。
2つ目のポイントにもつながりますが、賃貸のメリットは移れることですし、固定資産メンテナンスとか管理しなくていい事、そしてそのコストも全部含めて比較した場合、ワタクシの場合はモビリティーの高いほうが良いなというので賃貸です。
もちろん「家」はコスト・経済的利便性だけで選ぶのではありませんが、「命を守る」ってのが最優先であるのは書くまでもない事でしょう。
いつでも動ける準備
次に、いざとなればいつでも動ける備え。具体的には「お金」と「マインド」ですかね。
「悲しみよこんにちは」の著者フランソワーズサガンという10代で一気にスターダムにしあがった小説家の言葉で印象的なのがあります。
あなたにとって「お金」とはどういうものですか?という記者の質問に対して、「雨が降っている時に躊躇せずにタクシーに乗れる手段。バス停に並んで濡れたくないでしょう?」という回答。
高級車やお酒、薬など一通り通過していますが、もともとブルジョア階級のお嬢さん。
ワタクシ10代でこれを何かで読みましたが、はっはーんと。金持ちは発想がちゃうんやわ。お金はあくまでツール。不快な状況を快適に変えてくれるものと。
やはりお金はこういう使い方や自分の脳みそや体験に刻まれることに使わないとねと日々思っております。ミニマリストになった根底にはこういう思考マインドがあるので、「モノ」は重要ではないんですよね。
従って、かりに災害にあってもさっさと不快な状況から脱出できるように、普段から備えてると自ずとモノに関してはミニマムでマキシマムな対価を得れるように心がけ、その分労力や時間お金を備えにまわせます。ある種のリスクマネージメントでもあります。
日々の健康
最後はやっぱり中年になったから、また健康話です。
いやー、寝たきりでチューブ繋がられてたら逃げられないでしょう。
自分の足で歩けない人もしかり。
色々誤解も生むので他人の事は書きませんが、ワタクシ自身としては、自分で歩けない、下の世話ができない、栄養をチューブでつなげなければ生きられないとなるんだったら、殺してくれと思っています。
もちろん、介護してくれたり、助けてくれる人はいるでしょう。
でもそうできない場合もあります。事前に人とのネットワークや備えのお金(カネカネばっかり言ってますが。笑)があればここもカバーできるかもしれません。が、裁定できる範囲で自分のことは自分でができないとしんどいですよね。
AIの記事でもよく好きなブレードランナーのテーマでも書いてますが、「どこまでが人間?」「人間の尊厳って」は生涯通して関心のあるテーマです。



不可抗力で病気になってしまったり、先天的にXX病ってのはしょうがないと思いますが、そうではない人にとってはやっぱり、日々の健康維持って重要だな、怠けてはいけないなぁと思います。
さて、前回は我が家の「サラ・コナーバッグ」としてのモノの準備にフォーカスを当てましたが、今回はちょっと視点を変えて書いてみました。備えあれば憂いなし。皆様も参考になれば幸いです。I’ll be back!